一般社団 合気道真生会 上通り道場のブログ

私自身の合気道の歴史や稽古についての考え、師事した先生、合気道の精神などについて思いのままをこのブログを通じて文章にしていきたいと思います。

少年工科学校で合気道部に入部する

陸上自衛隊少年工科学校に入校すると必ず、運動部に入部することが決まりです。

各部を見学に行くと合気道部がとても楽に見えました。初めて見る武道、他の武道に比べると踊っているようで優雅な感じで優しく見えたんです。

ところが入部してみると先輩たちのしごきの毎日が待っていました。午後3時くらいから5時迄、合気会師範の指導による稽古早々に夕食を食べ、また道場へ、これから7時まで先輩たちのしごきの受け身が待っていました。

何か問題が発生すると連帯責任で皆砂利の上に長時間正座させられ、説教、基本技の特に二カ条、三カ条は泣くまで極められ、受け身が上手くなったと舗装道路で連続の前受け身、今考えると自分の意志の強さではあそこまではできなかったかもって思えます。

若い頃には障子の敷居と鴨居に挟まれ矯正され、支えられることによって育つ時代も必要なのかも知れませんね。

受け身

少年工科学校時代、課外の受け身はほとんどが投げられっぱなしの前受け身でした。

手、肩、背中、臀部と畳に順番に着いて行く基本的な受け身と違い、飛んでほとんど臀部で受け身を取っていました。若かったから身体が柔軟で怪我をしなかったんですね。

合気道の受け身は柔道と違って流れの中ですぐ次の動作に移れるように起き上がるように工夫されています。片方の足を巻き込むようにするのはその為ですね。

後ろ受け身は上手な尻餅のつき方です。その為には現代人には苦手なうんこ座りが自然に出来る方が後ろ受け身が上手くできます。問題は足首と膝を柔らかくすることです。

トイレが和式から洋式に変わって足首が硬い人が増えています。その分若くても転んで骨折する人が比例するように増えているんです。

3年生で合気道部の主将に推薦される。

2年も終わりの頃、時期主将の推薦があり、先輩達からお前がやれと言われ
自分に資格があるのか迷いながら監督に辞退を申し出ました。

再度同期の中で話し合いが持たれ、お前がやれと、実はある事件の主犯として処分を受ける寸前だったこともあって辞退を申し出たのですが処分とはならず坊主頭にされただけで終わりました(^_^;)

坊主頭で主将としての出発でしたが1年から3年までの80人の部員を引っ張って行くのは、並大抵だはなくまとまりを作る為に練習に来ない幽霊部員をまず退部させ、やる気のある部員だけを残しなんとか半年間の任期を無事終了したのでした。

主将の間に止めさせたのは、砂利の上に正座させての無意味な長時間の説教でした。

少年工科学校卒業して下志津空手道部へ

少年工科学校を3年で卒業して千葉の市内にある陸上自衛隊高射学校に入校。

その当時全国でも有名な下志津空手道部に入部し修行に励みました。松濤館流の空手は歴史が一番古く、開祖の船越義珍先生が沖縄から本土に伝えた正統派の空手で世界大会出場の選手を輩出する空手部の稽古はそれはそれは厳しいものでした。

先輩達の技も寸止めの定義が違って、皮一枚に当てるのが寸止めだということでした。言われた通り当たっても大怪我はありませんでした。(^_^;)

この空手部に入部して感じたことは基本の練習がしっかりしているということです。やはり基本は大事ですね。

もう一つ、合宿のとき朝の2時間の徹底した基本練習中こんなことがありました。お互い肩車をして立ち方の練習をしている時、相手が重くて途中でへたばってしまいました~_~;師範がやってきて、いいと言うまで体育館外周を兎跳び、いつまでたっても辞めさせてもらえません。もうダメだ動けないと兎跳びを止めた瞬間、師範が生の竹の棒を持ってきてケツを容赦なく思いっきり一発、やめるな!続けろ!もう限界だと思った兎跳びがまたできるんですね(^_^)

不思議(^_^)☆
限界を決めていたのは自分自身、限界はそこではないと気づかされた一瞬でした。

ちなみに終わって風呂に入ってみるとお尻が横一線に真っ黒(笑)


試合の時の思い込み

初めて日本武道館の全国大会に千葉県代表として参加した時の話、先方1番を任された私は緊張で足もガクガク、心臓はバクバク、足が地に着いていないような、そんな気分でした。おまけに相手ときたら熊みたいな黒帯のおっさん、こりぁ絶対勝てんわって、正直思いました。その時、全国大会でも実業団として毎年出場し、団体の型では全国優勝した当時の部の主将が、まだ3級だった私に貫禄のある年代物の黒帯を貸してくれて力付けてくれました。

先輩は、「相手はお前のこと知らん、歳も取ってるし動きも遅い、いいか、毎日うちのように厳しい稽古しているクラブはどこにもない、それにお前は日本でも一番強い俺たちと練習してるんだぞ、あんな鈍いやつ、相手が動いたらすぐ突け、お前の方が早いから勝つ」

私はなるほどと納得し、地に足がしっかり着いて、落ち着いたように感じ、試合が始まってみると、先輩に言われた通りすぐに一本が取れ、先輩達の拍手に迎えられました。

実は相手は5段だと後で聞かされ、先輩達の洗脳にはまったと気づきました。もし試合の前に聞いていたら勝てなかったように思います。実に思い込みは力になるんですね。

結局、チームは勝ち残れず、先輩達の試合を応援に、実業団のトーナメント会場へ、そこではレベルの違う試合が行われていました。

実業団の試合は、二試合目で先輩が前蹴りで自分の指を骨折、なんと代わりに私に白羽の矢が、まさかこんなレベルに通用するわけがありません。逃げ腰になっている私に、先輩の洗脳が始まります。

「さっきの速さなら大丈夫、勝てる!」と自身満々、なんか勝てるような気がしてくるから不思議です。結局勝ってしまいました。

試合の後、先輩から、よく勝ったな、相手は空手で有名な大学の元キャプテン、よしお疲れ!ポンと肩を叩かれました。洗脳と思い込みは意外な力を発揮します。

空手をやっているから
銃剣道もやれと( ̄^ ̄)ゞ言われて合宿へ

4年間の高校生活(通信制湘南高校)を卒業して同じ駐屯地内にある部隊に配置され、空手を続けることになりました。

なんとその部隊に空手部を創始した監督が在籍していました。
お前は空手をやってるし、目が良いから銃剣道も合宿に参加しろと言われました。

銃剣道は自衛隊の必修科目で銃剣道の大会が各駐屯地で行われれているくらい、自衛隊の中では盛んな武道です。

でも合宿に参加となると駐屯地の選手として色々な大会に出場することになります。

少年工科学校の卒業生は卒業と同時に軍隊で言えば下士官にあたる3等陸曹に任官するので、部隊に配属されると年上の部下がたくさんいるんです。

年上で部隊経験も豊富な年上の部下たちは、今度はどういう奴がきたか?
いつも監視しています。

幸いにも最古参の専任陸士長が銃剣道の合宿で一緒に練習する仲間なので、部隊にもすぐに馴染むことができました。

空手もさることながら、銃剣道も防具をつけてとてもハードな武道です。駐屯地の名前を背負って大会に出ていかなければなりません。

空手の試合も、銃剣道の試合も4月、5月と1ヶ月の間に予選から全国大会まで立て続けにあるんです。

昼の稼業時間は上からの命令で銃剣道の合宿に参加、夜は全国大会に向けての空手の稽古、65キロあった体重は55キロまで落ちました。多分体脂肪率一桁(^_^;)

しかし監督の言う通り、目がいいのか?防具をつけてるせいで、空手に比べると相手の突きがよく見えるんです。

空手の組手の時は先輩の突きや蹴りが早くて、プラス、怖くて目をつぶりそうです。でも防具をつけてると、怖くないのか見えるんです。

人間の恐怖感は力がはいるのと一緒でなにもみえなくなってしまいます。恐怖感を乗り越えることが武道上達の道かもしれませんね。

部隊での2年間の、空手と銃剣道の両立で、空手の初段、銃剣道3段の允可を受け、空手の試合では千葉市で優勝、(先輩は出ません)銃剣道では2部で千葉県大会優勝、

千葉県の大会では憧れていた先輩に決勝戦で3回引き分けで4回目に練習の成果があってやっと勝つことができました。(^_^;)

因みに、この先輩は3期上の先輩で6歳から熊本の人吉にある銃剣道青井道場で稽古していた先輩、一突き一突きがとても綺麗です。少年工科学校では主将を務め歴代大会で優勝の強者。正直言って勝てたのが奇跡(^_^;)

この優勝を機に昔から心に決めていた美容師の道に進むことになりました。
有終の美です。もう思い残すことはありません。約束してきた2年間のお礼奉公かわ終わりました。

自分でコントロール出来ない自分が、自分の中にいる感覚

自衛隊の空手部時代、こんなことがありました。

試合中のこと、試合の相手はチョットヤンチャな感じ、空手でもやらせて、少しでも痛さをわからせて、大人しくさせようと親がクラブに押し込んだってタイプ(^_^)

試合はじめからなんとなく、いやーな予感、だって初めからケンカ腰でかかってくるんです。(^_^;)

だんだん、イライラ、ムカついてきました。相手は寸止めなんか全然考えてないのがすぐわかりました。

相手を圧倒しようと、最初から思いっきり、ガンをつけ挑発してきます。

自分の中から、きっと正しくない気持ちが湧いてくるのがわかっていました。

思いっきり飛び込んできた相手の突きをかわした時、・・・

次の瞬間にハッと我に帰った時、私は試合場の外まで相手を追いかけ、逃げる相手を1発‼︎  主審の手があがり、反則負け~_~;

初めて、自分でコントール出来ない自分が、もう一人自分の中に住んでいると感じた瞬間でした。

チョット、shock😨

よく、最近、キレるという言葉を耳にしますが、あの時がそうだったんだなぁと思い出されます。

平常な時人は、ケンカ腰はいけない、相手と争うことは悪だと知っています。

試合の時、相手と口論している時、イライラしてる時、もう一人の自分が、心の中でスタンバイしています。

試合中、コントール出来ない自分を感じて、正直、これは自分ではない人が入り込んで、こんな行動をさせたと感じたくらいです。

それくらい、もう一人の、いや、何人いるかわからない自分が何をしでかすか見張っていなければなりません。

自己完成の道、これが合気道の目指す道だと、合気道の精神に謳ってあります。常に平常心を保つことは、心の修行になりますが、平常心を揺り動かす環境が合気道の稽古の中にあります。普段の生活では平常心を揺さぶる機会は滅多にありません。

日頃の稽古の中で、相手と争わず、自分と争わず、一体となる道、「合気とは自己に打ち勝ち、敵をして戦う心なからしむ、否、敵そのものをなくする絶対的自己完成の道なり」

合気道真生会の中にその道があります!





21歳、自衛官から美容師に

自衛隊を止めて美容師になるということは、並大抵ではなく、経済的にも親に頼ることはできません。

貯めていた貯金を切り崩しながら、バイトしながら、兄の寿司屋に間借りして家賃を節約、寿司屋の出前や簡単な寿司屋の仕事を手伝いながら、美容学校にに通学、でも楽しかった。

自衛隊の頃、部隊の中にある理容室のオーナーに、床屋になりたいと相談したことがありました。オーナーの意見は、「今から理容師になりたいのなら美容師になれ、今、巷では男性の美容師が増えている。」

さらに、

「ビートルズを見てみろ、俺たち理容師はあんな髪型は切れん、今から男性も美容室に行く時代がくる。」

まさか?

たまたま、奥さんが美容師の先輩が私に助言してくれました。理容室のオーナーに言われた通り男性美容師が増えてると、

早速、都内の美容学校に見学に行きました。

200人くらいの生徒の中に約20人ほど男性が混じって勉強しています。

でも、ひょろひょろで頼りない感じ

チョット女性的な奴ばかり、自衛隊の訓練や武道の稽古で過ごしてきた私にとっては異次元の世界、

こんな世界に飛び込んで大丈夫か?

と、不安がいっぱい(´・_・`)

でも一旦心に決めたこと、やり遂げよう、

こうして自衛官から美容師へ、公務員から自由業へ、そして男性社会から女性が90パーセントの世界へ。

全く反対の異次元の世界
*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*


美容学校時代

熊本市の黒髪にある九州高等美容学校に入学、同級生の年齢は基本的に高校卒業程度、たまに中学校卒業生、21歳の私は、みんなより少し先輩でした。

中には40代50代もちらほら(^_^)

年齢と自衛隊で号令を掛けていたせいか、抜擢されて副委員長に指名されました。

教育の内容が中学卒業程度なのか?
高校時代の復習のような授業でいつも満点近かったのを覚えています。

美容学校は国家試験に合格させるための勉強が多く実際の技術とはあんまり関係がありません。

半年後ある男性美容師と縁があってお店に遊びに伺いました。

なんとそこのオーナーは故郷が阿蘇郡南小国町の10歳年上の男性美容師でした。夏休みに無給でバイトさせて貰うよう約束して店を後にしました。

さてこれからが美容師修行の幕開けです。

夏休みの間は、一日中美容室の仕事が見れるので、朝の準備から、終わりの片付けまで仕事の流れが見れます。

先生の仕事を見ているうちに、お客様の質の高さ、先生の技術の高さ、あまり大きな美容室ではないけど修行するにはもってこいの美容室を偶然にも見つけたのです。しかも先生は同郷。

夏休みも終わり、美容室の先生にバイトを続けることを約束し、卒業後も就職先が既に決まってしまいました。

美容学校を3月に無事卒業、終わってみれば、無遅刻、無欠席、模範生徒としての表彰、副委員長としての表彰など貰って卒業、先生として学校に残ってくれないか?と校長に言われたけど
「美容師になる為に美容学校に入ったのに、先生になっても、目標が違います。」と丁重にお断りしました。

先生の一挙手一投足を見逃すな!

武道の修行も美容師の修行も共通点がたくさんあります。先生の指は、手は、立ち位置は?一つ一つの動きに意味があるように思います。

やっても出来ない時、先生の動きを思い出してやり直す。その繰り返しをやっているとある時、あっこれかと閃きがあります。

でも次に同じことをしようとするとまた出来ない。

反復練習をしていると何回やっても同じことができるようになるんです。

これが修行の基本なんでしょうね。

タオルの洗濯から美容室の掃除、掃除をすることでお店のどこに何があるかわかるようになり、仕事がスムーズにできるようになります。

先生の助手は、次に何が必要かを先に考えることにより、仕事の手順を理解していきやすくなり、自分がやる時の手本になります。

合気道を稽古する時、先生の一挙手一投足をつぶさに見て、真似をして、出来なくても毎回反復練習する。これが上達の秘訣でしょう。

下通りにたって、客引き(^_^;)

美容師も修行に入ると持ち前のやる気と、早く一人前になろうと毎日勉強、勉強!夜中の2時までの勉強が続き、病気しなかったのが不思議、とうとう先生から、やりすぎ!と怒られる始末

3年後やっと自分が新規に開拓したお客様からカットに入ってもいいようになりました。

スタッフと考えた結果、昔流行ったプリントゴッコで名刺を作り、下通りで配ろうということになりました。

さて、農家出身の自衛隊あがり、ありがとうござますも言えなかった私が見ず知らずの、それも女性に声をかけなければなりません。

空手の初めての試合より緊張しました。当時は化粧品のキャッチセールスが多く、下通りは熊本の中心街にあるアーケード街でたくさんの人たちが歩いています。

毎日顔をあわせるうちにキャッチセールスのメンバーと友達になりました。そこでセールスのノウハウを教えてもらました。まさに営業的ナンパです。

同僚と2人、月に30人ほどの新規開拓ができるようになりました。

一人一人に声をかけ、店に来ていただくよう説得し、1回来ていただくとリピーターとして再度来店していただく為に誠心誠意、接客します。勿論技術も上手くならなければお客様を満足させることはできません。

自分達でお客様をつかみ、一生懸命接客し、技術を磨き満足して頂くことでお客様との信頼関係が生まれます。お客様の大切さを身に染みて感じた修行時代、

今もそのお客様達が約40年にわたり、子供を連れ、孫を連れお店に来ていただいています。ありがとうございます。

合気道の看板に導かれ

3年間経った頃、少しづつお客様も増え、技術もカットができるようになり自分の売り上げも上げられるようになりました。

自衛隊の頃、運動ばかりしていた私が、毎日遅くまで勉強、勉強の毎日で、休みの日も、シャンプー剤を売ったりといった日々を過ごしていましたから、運動不足を感じていました。

中心街を歩いていると、ビルの5階に合気道の看板が見えるのに気づいていました。百貨店の前の鳥居の横にも、合気道の看板と奥の神社「手取神社」がありました。

思い切って、ビルの5階の事務所を訪ねてみました。事務員さんらしき人が出てきて中に案内してくれ、先生の出版されたばかりの「合気道の心を求めて」を紹介してくれました。

運動不足で技術の習得に明け暮れていた私にとって、活字は新鮮でした。先生の本は文面も読みやすく、内容が深い。私が思ってきた、3年間の学校でのクラブ活動とは違った、深い精神性が書いてあります。

開祖の合気道の精神に忠実に、その精神性を中心とした社会との関わり方、合気道人としての生き方が謳ってあります。

こんな本を読んでしまったら、この合気道を体験しなければ気がすみません。休みの日に、早速百貨店の前にあった道場に見学に行きました。
 
案内板には朝、6時半〜7時半
                  昼、2時〜3時
                  夕、6時半〜7時半 


朝早く起きることができれば、仕事に関係なく稽古が出来る時間です。

道場に入ってみると、長身の先生が指導しておられました。当時、30歳位の若い先生、本を書かれた先生とは違います。聞いてみると内弟子の先生でした。 道場に住んで合気道を専門に修行されている方だそうです。

早速入門することにしました。

眼から鱗が剥がれ落ちる

入門して間もない朝稽古で、初めて大先生にお会いすることができました。

当時60歳だった先生は、小柄で中肉中背、髪はボマードをつけてビシッと決めていました。眼光鋭く、眉はカールして長く龍のような眉、先生が道場に入られると、いきなりピーンと空気が張り詰めた感じになります。

先輩たちも今までの和やかな会話からいきなり真剣そのものの顔になります。先生が来られるだけで何故か緊張感が変わるんです。

きっと見えない先生のオーラに圧倒されるんだと思います。

先生はいつもとても丁寧な敬語で話されることが多く、弟子に対しても、さんか、君付けで呼ばれることが多く呼び捨てにすることは一度もありませんでした。

きっと言葉には霊が宿る、言霊を実践されていたんだと思います。

稽古の指導も心がしっかりこもった説明で分かりやすかったんです。

改めて新しい先生の指導のもと合気道を稽古してみると、自衛隊時代の3年間の合気道の経験が、未熟だったことが反省させられ、一から出直すつもりで稽古に励みました。

合気会では初段を允可されていたのですか、何年かのブランクもあり、一からの出直しなので合気道の経験は伏せての入門でしたが、直ぐに先生に見破られ、3ヶ月後、5級からの昇級が3級の允可をいただきました。

3年間も合気道の稽古をしていたにもかかわらず、先生の手を取ると柔らかく、雲を掴むような感じで抵抗感がないのに、投げられているんです。

60歳の先生で、一般的に言えば体力も低下してくる年齢なので、頭で考えて遠慮しているところもありました。

ある日、先輩から思い切り先生の手を取ってみろと言われ、言われた通り、力を振り絞って先生の手を掴んだらその力が全部自分に跳ね返ったように、受け身が取れないくらい投げ飛ばされていました。

まさに眼から鱗が落ちた瞬間です。

先生に誘われて、朝稽古後のモーニングコーヒーへ*\(^o^)/*

26歳の誕生日、1月11日、めでたく初段の允可を頂きました。
m(_ _)m

奇しくも私が修行した合気道道場の創立記念日、おまけに毎年鏡開きの日、
ケーキの代わりに鏡餅入りのぜんざいでお祝いしていただきます*(^o^)/*

朝稽古が私の毎日の日課になりました。朝1番のバスに乗り、熊本市の中心部まで約7キロ、冬の間はジョギングで行くこともありました。若かったv(^_^v)♪

朝は隣の神社の境内の掃除から始まります。秋口に入ると銀杏の葉が黄色の絨毯のように一面に広がっています。

先生を先頭に、先輩、同僚とおはようございますの挨拶から始まる朝稽古は清々しくて最高でした。

礼拝から始まり、合気道の精神を奉唱
準備運動から体捌き、座り技から、半身半立ち、立ち技、後ろ取りと大体の流れは決まっていますが、技は毎日違います。

毎日稽古で基本から丁寧に教えてくれた先輩がいました。私より3歳年上のとても元気な先輩です。

先輩は、朝稽古の後、決まって先生の袴をたたみます。そして早々と着替えを済ませ玄関で先生を待っています。
そして先生をみんなで見送ると後について玄関を出て行くのです。

ある日、先輩に聞いてみました。稽古終わってから先生と何処かいくんですか?先輩の答えはモーニングコーヒー

先生は恐れ多くて緊張するけど、羨ましい、私は先輩に一緒に行きたいな、とお願いしてみました。

後日、朝稽古が終わって先輩と同じように着替えて玄関で待っていると、先生から、「あなたも一緒にどうですか」とお誘いの言葉が*(^o^)/*お二人の後をついて近くの喫茶店へ、願いが叶った瞬間です。

ある日のモーニングコーヒーの時、合気道の精神を勉強するのに何か良い本はないかと質問してみました、先生から何の答えもありませんでしたが、翌日の朝、先生は「この本は良い本ですから」と出口日出麿書、生きがいの探求という本を下さいました。



生きがいの探求

大本教は合気道開祖が霊的修行をされた宗教で京都の綾部に聖地があります。明治25年、文盲のぼろ買いなどをして貧乏のどん底のおばあさんに位の高い神霊が神懸かります。

この神懸かりは長年にわたり続くのですが、未来の予言をお筆先で書き始めます。純粋に磨かれた魂にしか高級な神霊は神懸かりしないそうです。

この予言が良く当たり周りを驚かされます。家族もきみが悪くなり蔵に閉じ込める有様でしたが、この神懸かりを審神者で見抜いたのか、後に出口直(大本教開祖)の娘の養子になる、出口王仁三郎という大本教の教祖です。

合気道開祖が、お父様の危篤の電報を受け取り故郷の和歌山の田辺に帰省の途中、汽車話の中で、綾部に祈祷で病気を治す、ばあさんがいると耳にします。開祖は田辺に帰らず綾部に直行して出口王仁三郎に出会います。

出口王仁三郎は開祖に、お父さんのことについて、「神さんは、悪い霊障が原因の病気は治せるが、神さんから頂いた寿命はどうにもならん」と開祖に伝えます。

常に命の境界線にある、古い武道家にとって霊の世界を知ることは非常に大事な事だったと推察します。

田辺に帰ると既にお父様は他界されていましたが、開祖は屯田兵として北海道の北見を開拓され、村長になっていましたが、その職を投げ捨て知り合いに後をまかせ、夫婦共々綾部に移住します。

綾部では武道の修行と、霊的修行が一体となった時間、合気道を教えながらの霊的修行、今までにない新しい修行、相手を倒す武道から相手を活かす愛の武道へと進化した時代なのでしょう。

今までの武道家の中に座禅とかではなく、武道を通して悟りを開いた武道家が他にいるでしょうか?

相対する相手を殺傷する事が目的の武道、そ れに反して、愛を解く宗教、まさに陰と陽の世界を結ぶ全く新しい道、それが合気道なのです。

先生から頂いた本は、大本の2代教祖が青年時代に書いた、思索ノートだったのです。

出口日出麿先生

出口日出麿先生の生きがいの探求、生きがいの創造、生きがいの確信の3部作は今でも販売されていると思いますが、実に日出麿先生が青年時代に自分の心の葛藤を記した思索ノートです。

若い時代はいろいろな悩みがあると思われますが、実に若い頃の心の状態を露わにし、それについての考え方を実に分かりやすく書いてあります。

あまり宗教感がなく、誰にでもある青年時代の葛藤と本人が神を信じることで解決した考え方が綴ってあります。

大先生もこの本を熟読し、合気道を探求し、創造し、確信を持ったように思います。体操で金メダルを取った具志堅幸司もこの本を読んで感動し5冊も読み潰したという逸話が残っています。

私も朝稽古の後の先生とのモーニングコーヒーの後、3部作の読書が続きました。是非、合気道を志す方は読んでほしい3部作です。

合気道のルーツは?

この3部作を読んでいくと、合気道の開祖や私が師事した先生も、心の世界を大事にし、精神世界も含めた合気道の修行によって、悟りを得たのではないでしょうか。合気道の開祖は、この武道は、武道であり、宗教であると書いてあります。

我々が合気道の稽古の最初に奉唱する
「合気道の精神」
合気とは愛なり、天地の心を以って我が心とし、万有愛護の大精神を以って自己の使命を完遂することこそ武の道であらねばならぬ、合気とは、自己に打ち勝ち、敵をして戦う心無からしむ、否、敵そのものを無くする、絶対的自己完成の道なり、而して武技は天の理法を体に移し、霊肉一体の至上鏡に至るの業であり道程である。

と謳ってあります。

この精神はまさに、合気道開祖が大本で修行した精神を武道の修行者の使命として表したもので我々の目指す道であります。

大先生が最も大事にされ、この精神をもとに指導されてきたことがうかがわれます。

私は休みになるとたびたび先生のご自宅へ伺い、お話をしていただく事が多くなりました。話し始めると4時間〜5時間二人でずっと合気道についてのお話です。

モーニングコーヒーの時、最初は、何を話して良いのか、わからなかった
私から先生へ、大本についての質問や、合気道の精神についての質問が多くなりました。

大先生は、元々敬虔な大本信者だったお父様の影響で大本の聖地綾部で労働奉仕もされたそうです。その後、長兄のお兄様に連れられて、合気会の新宿にある植芝開祖の道場に入って、内弟子として修行の日々を過ごします。

身の回りのお世話から、戦時中でもあったため、道場があった近所の隣組と言われる団体の食べ物の配給まで、

開祖が指導に行かれる時は、荷物を持ってきっぷを買ったり、袴をたたんで開祖の着替えを手伝い、自分も着替えて、待ってくれない開祖にいつも駆け足でついて行くのが大変だったそうです。

私ども弟子が稽古の後、大先生を、外で待たせた時、昔話としてよく話してくださいました。優しく指導していただいたと思っています。

合気道の道場で内弟子として修行している先生にも赤紙の召集令状が届きます。そして陸軍へ入隊されたのです。

日本が激戦の中、戦地への編成をしていた上官から、「お前は不思議な男だな」と言われた事があるそうです。
戦地への編成に、何回入れても、なぜか先生だけ外されていたそうです。

そのことについて先生は、私には合気道を後世に伝えるための、神さんからの使命が与えられていたのでしょう。
と、回想されていました。

大本の神さんを信じてる先生

稽古や懇親会の中で、先生はよく霊的な話もしていらっしゃいました。

それは、大本の教えに基づいているものでありますが、大本の名前は殆ど出されることはありませんでした。

毎月11日に行われる、月次祭も道場のとなりの神社(天満宮の流れをくむ神社)で大本式ではありません。

会員は色々な宗教を信じている人も多いわけですから、大事なことだと思います。心においても、相手に任せる。相手と絶対争わない合気道の精神に繋がるものですね。

大本では万教同根を解いています。どんな宗教も元は同じだという思想から神殿でキリスト教のミサがあったりしたそうです。

合気道も同じで、仏教、神道、キリスト教、イスラム教とたくさんの違った信仰を持った人達が、同じ道場で稽古していました。

キリスト教徒が言いました。「ここは教会のような雰囲気があり、皆んなが家族のようだ」と、あるイスラム教徒が言いました。日本の神道の教えは、イスラム教の教えに似ていると。
このように合気道は皆さんの精神性を包み込む包容力を有しているんだと感じています。

宗教が戦争を起こしているこの世の中で、武道という争いを克服する練習の中で、相手と一体になる結びを練習する。体験の中から相手を受け入れる許容力を身につける、これが開祖の言われる、「合気道は武道であり宗教である」と言われる由縁でしょう。

先生は自分を映し出す鏡

先生の行動を気をつけて見ていると、全てがお手本(⌒-⌒; )

ある日のこと、先生のカバンを持たせて頂いて内弟子気取りで歩いていると、空き缶が落ちていました。(^_^)

何気なく先生はその空き缶を拾います。なんでゴミを拾う?空き缶を持って歩く先生、自動販売機のゴミ箱にその空き缶を捨てました。ここで一言
「人が踏んで転んだら危ないでしょう」(>人<;)

頭が下がりますm(_ _)m

できる弟子なら、先生が拾う前に自分が拾う(^_^)

そんな感覚を持ち合わせていない自分が恥ずかしい(>人<;)

先生はそんな人なんです*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*

全てにおいて一挙手一投足がお手本ですm(_ _)m

こんな生き方をしている人がまだこの世の中にいたんだ。

心の底から、一生の、かけがえのない師を見つけました。

自衛隊にいる頃、戦闘訓練の中、何時も葛藤がありました。

俺、銃もって、走って何やってるんだろうと。

組織の中でチームワークで一部品なって敵に打ち勝つ、これが戦闘訓練です。

同じ釜の飯を食うと、その人となりが見えてきます。

このひとは、自分のことしかかんがえていない(~_~;)

このひとは、人を大事にしている。自己犠牲を美徳とする人達ってまだ居るんです。

日本も捨てたものじゃ無いんです。

そういう時に、このひとの為なら自分が先に出ていける、そういう熱い男がいるんです。(`_´)ゞ

でも、出世しかかんがえていないひともいるんです。(*^_^*)

初めてこの人の為なら俺が犠牲になっても死ねるかもって思いました。大先生の為に

何故なら先生が自分の人生を捨てて合気道のために、合気道を自分の使命として、捨てている姿が見えるんです。

おもてなし(恥ずかしい思い出)

ある演武会の後の、会食の時でした。他県の支部道場からも沢山の道場長や先輩がいらっしゃっている会場、

何時ものように先生と話がしたくて先生の前に陣取りました。

大先生は、おもてなしの心や、先輩、後輩の区別がはっきりされていました。

先生の前に陣取ったわたしに、「あなたはあっち」と末席を指差されました。

一生懸命になると、空気が読めない私に、鋭い指摘が飛んできました~_~;

ハッと我に帰ると、恥ずかしくてたまりません。私達、大先生のお膝元で稽古している弟子は、遠く県外からいらっしゃった先輩方が、なるべく先生の近くへ席を譲るのが当たり前、

恥ずかしい限りです。

大先生、60歳で長男が誕生

入門してすぐの頃でした。
4月1日に入門して、まだ日も浅い頃、大先生に長男が誕生しました。

初めての男の子の誕生に大先生は大変お喜びの様子、先生のお宅では第3子になりますが、大先生に似た凛々しい顔の男の子でした。

絵が好きな子で、先生のお宅へ伺った時によく描いた絵を見せて頂きました。でも不思議な子で4歳まで言葉を喋りません。

先生は、アインシュタインは4歳まで喋らなかったそうですと気にかけていませんでした。きっと神様にお任せする気持ちだったのでしょう。

9歳の誕生日にこの子が病気で亡くなられたんです。

先生は、葬儀の後、「長男は、9歳の天寿を全うしました」とおっしゃいました。

数年後のことです。先生のお話の中にその言葉の意味が、現れていました。

「息子が亡くなることによって、私の祈りが真剣になり、私の心の世界が深くなり、私の合気道の技が変わってきました。

息子は、9歳の天寿を全うすることを使命としてこの世に生を受け、その使命を完遂して天国へ旅立ちました。」

先生のお宅へ伺った時の息子さんの絵が、汽車(旅立ち)長い上りの階段、
(天国への階段)その頂上にある長い長方形の箱(柩)、

実に不思議な絵でしたが、後になって考えてみると自分の人生を暗示している絵だったのでしょう。

先生は先輩からの「悲しいことですね」との哀悼の言葉に対して、「悲しくはないのですか、側にいなくなって寂しい」とおっしゃっていました。息子は天国にいるのですから、悲しくはない、しかし現生に生きる私の側にいないのが寂しい


まさに精神世界を熟知したお言葉だったと思い出されます。

東京で第一回合気道友好演武会

外国人の方が英語圏の方向けに出版している、合気道ジャーナルの社長のよびかけで、東京で開祖に直接指導いただいた、世界でも有名な先生達による、第一回合気道友好演武会が開催されました。

先生は何時も、直感を大切にされていました。直感は、直接的な神からの内流だと信じていらっしゃいました。
ゆわゆる第六感です。

生きがいの探求などの3部作にも書いてあります。よくわかりませんが、直感は下腹の臍下丹田に来るようです。

この直感により、先生は、いままで交流のなかった、先生達と東京で演武会に参加することになったのです。

お金のなかった先生は、昔から大事にしていた、開祖の書、掛け軸、先生が読まれた本などを会員に買ってもらったりしてお金を用意し、受け身役5名、踊り役6名を連れて演武会に参加されました。

演武会に参加した先生達の中で、一番長く、そして内容が濃く、充実していたのは勿論、大先生、1時間半ほどの演武を披露したそうです。

今でもYouTubeで検索すると在りし日の先生を見ることができます。

合気道に興味を持つ外国人 が、多い。よし、英語を学ぼう!

外国の人が入門すると真っ先に立ちはだかるのが言葉の壁です。やはり英語が一番多く、先生のお話は理解できないまま練習していることがほとんどです。

しかし合気道に言葉はいらないと、よく言われますが、空手や他の武道のように、勝った、負けたとはっきり勝負が、わかればいいのですが、ただ黙々と練習している様に見える人もいるのです。

ドイツ人で空手の経験者だった会員が毎日同じ稽古で、もう飽きたと言って辞めていきました。

やはり合気道の精神をわかりやすく説明できることも必要なことだと感じました。

会員として稽古していた外国人に、月曜日の夕稽古の後、英会話を教えてくれとお願いすると快諾してくれました。夕食代は、勿論、私持ちです。

何年続いたでしょう。少しづつ英語が理解できるようになると、合気道の話に熱が入ります。

ある時気付いたのですが、みんな合気道の精神を理解し稽古に熱心になっています。

最初は10年英語ペラペラ計画だったのですが、気がついてみると20年を過ぎていました。

だけどペラペラではありません。
☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

この合気道が世界に広がると、世界は平和になる。

大先生はよく、この合気道が世界に広がると世界は平和になるとおっしゃってました。

大先生の指導のスタイルは、呼吸力を中心とした指導です。

合気会に所属していた、少年工科学校の頃の稽古では、最後の呼吸法はありましたが、呼吸力の養成法はありませんでした。

これは他の合気のスタイルにはありません。

呼吸力については、後で詳しく説明をするとして、私にとっては、全く新しく、何回やっても理解できませんでした、

大先生が開祖と内弟子の時代から求めてやまない、肉体と 精神が一体となるための方法、これが呼吸力でしょう。

YouTubeを見た外国人の合気道家が、後に沢山、道場を訪れることになりました。

大先生のオリジナリティが、摩訶不思議な合気道を学ぶ上で参考になるという直感からでしょう。

技の形を覚えるのは、3〜4年もすれば憶えてしまいます。

けれど呼吸力は、しっかりとした精神の方向を、基礎にして学ばねば、間違った方向に進んでしまって一歩も前に進めません。

合気道は単なる武道と考えると先に進めないのです。

大先生の合気道の呼吸力は、その霊的成長と共に進化していきます。

大先生の長男が亡くなった時、祈りが深くなったと先生が言われました、その後、何年かで、呼吸力の養成法はどんどん変化していきました。

何年かぶりに稽古に参加した先輩は、まるで初心者に戻った様だとおっしゃっておりました。

この様に大先生の呼吸力は、日々進化していくんです。毎日、毎日の正しい方向への積み重ねが呼吸力を産むと言っても過言ではありません。

世界に広がりを見せる合気道、この道に呼吸力という、魂を込める、これが一般社団法人合気道真生会の使命だと思います。

「合気道で悟る」を翻訳

今や合気道は世界中で稽古されています。沢山の外国人の方達がこの愛の武道に興味を持って稽古されていると聞いています。特に合気道人口が多いのは、フランス、次がアメリカで、3番目に多いのが日本だそうです。

私が水道町の道場で稽古していた時も、アメリカ、フランス、ドイツ、ドミニカ、イギリス、スリランカなどの外国の人が沢山稽古していました。

今回の第一回合気道友好演武会でのDVDが合気道ジャーナルから発売されました。

その反響は素晴らしく、1時間半にわたる大先生の演武は特に好評だったようです。

その後沢山の外国の合気道家が道場を訪ねてくるようになりました。

その中に、特に熱心だったアメリカ人がいます。彼は日田市から2時間の山道を越えて、土曜日の稽古に通ってくるんです。

日田で中学校の英語の先生として働いていました。アメリカのフロリダ州で合気道を練習していたそうですが毎週のように長距離の道を通っていたんです。

彼は契約期間が終わった後、1年間くらい、アルバイトをしながら熊本に移り住んで合気道の稽古を続けてアメリカに帰りました。

その後、熊本にある、学園大学の修士課程のために再来日したんです。

なんのために、^_−☆合気道の為に。。

学生寮に住んでた彼が、ある日私に言いました。合気道ジャーナルの出版とDVDの発売によって、大先生の合気道は世界の人たちに、素晴らしいインパクトを与えました。

これから大事なのは、この精神を海外に理解してもらうことです。彼は私に、大先生の出版した本を翻訳しましょう。と提案してきました。

丁度、私の美容室の2階が空いていたので、無料で2階に住んで、翻訳した文章を、僕がチェックする日々が続きました。

さらにその文章をアメリカ人でミッション系の大学の院長先生をやっていた合気道7段の先生がいました。

院長先生のチェックでキリスト教系の海外の人たちにもわかりやすい本を作りたかったんです。

200ページに及ぶこの本は私の助言もあまり必要ないように彼の日本語は完璧です。日本語能力検定1級の翻訳は、院長先生の太鼓判です。

タイトルは.Enlightenment Through
Aikido  合気道で悟る  です。

大先生のお許しを得てアメリカの出版社から出版されました。反響は素晴らしく、直ぐポルトガル語にも翻訳されました。

準備運動と整理体操

稽古の前の準備運動は、怪我をしないために重要です。昔の稽古にはなかった為に大先生が考案されました。

準備運動は舟漕ぎ運動から始まります。これは神事の中にある運動で、禊祓いの意味があるそうです。

左右の、腰の振りから始まって全ての関節をやわらかくして行きます。

立った状態から座った状態まで、首から足の指先まで、指導者の号令に合わせてゆっくりとほぐして行きます。

この準備運動の中には、西式健康法、真向法、自彊術、など大先生が実践して良かったものを、ピックアップして組み立てられています。

特に西式健康法は、西勝造先生という西式健康法を作った先生が、合気会の内弟子で先生が、指導していた時に稽古に通っていた方らしく、大先生は個人的にも実践していらっしゃいました。

特に最後の整理体操は、金魚運動など、沢山の西式健康法の要素が含まれています。

また、大先生は玄米食もよく食べていらっしゃいましたが、玄米食を最初に提唱された、二木謙三 医学博士(元東京大学名誉 )も合気道会の本部に稽古に通っていたこともあって、実践されていた様です。

準備運動と整理体操だけで健康になれそうですね。

真向法

合気道真生会 公徳会道場では、今までの準備運動の中に、真向法体操を組み込みました。

これは従来あった順序で、真向法の4つの体操組み込んだものです。

真向法体操は、1回3分、たった4つのシンプルエクササイズです。股関節を中心に呼吸と合わせて運動(ストレッチ)することにより、体調不良、腰痛、肩こり、血液循環の改善、歪んだ骨盤や姿勢を整え心身をリフレッシュする効果があります。また、特別な道具も必要なく、子供から大人、年齢や性別、体力に関係なく、どなたでも、何処でも(畳1枚のスペースがあればOK)、手軽に出来る健康法なのです。(真向法協会から引用)

身体が柔らかいという事は大事な事で、現代の欧米化により、日本の生活様式は一変しました。

従来の、布団の生活からベッド、正座の朝食からテーブルでの食事、和式のトイレから洋式のトイレ、バリヤフリーでの段差のない生活と 様変わりしたのです。

初心者に指導すると、若いほど姿勢が悪く、特に足首が硬い!

正座の時に背中が曲がり、足首の硬さから正座が浮いた様に見えるなど、生活様式の変化からくる姿勢の悪さが顕著に表れます。

合気道の稽古の中で、技の練習をする時、相手は、姿勢の悪い部分から始まり、全体が崩れていくので、いかに中心のしっかりした姿勢が基本であるかがよくわかります。

真向法体操は姿勢の矯正にもってこいの体操です。
Let's make a flexible body

杖は万能です。自衛隊時代に銃剣道をやっていたこともあって、攻撃と、受けのバリエーションが無限大です。

公徳会道場では、杖の型が稽古の中に組み込まれていますが、この型は、大先生が、開祖の教えられた杖の動きを集約し、一連の動作として作られた、
大先生の創造された杖の型なのです。

この型を練習することによって、杖を自由自在に扱えるようになるのです。

合気会の稽古を経験し、そこにはなかった真新しい動きを研究しているうちに、大先生がいかに柔軟に考え、開祖の合気道をわかりやすく伝える為に努力したかを感じます。

私なりの考えなのですが、日本の刃物は、刀を代表として、和包丁、ノコギリ、全部、引いて切る様に作られています。

兄が寿司店を経営していたので、寿司ネタの引き方を横で見ていると、長い刺身包丁全体を使って引いていきます。

剣道を見ていると、不思議なことに竹刀は押しています。

では洋包丁は押して切る事がある様です。カナダのノコギリは押して切ってた様な気がします(笑)

話は元に戻りますが、木剣は手の部分の両端を握り、大きく振りかぶり、切っ先がお尻に着くくらい振り上げます。

あまり強く握りすぎているとお尻まで振り上げることはできません。

木剣を握る手は振り上げている時は両手と木剣の接触点だけです。強く握ってはいません。

私は真剣を使って巻き藁を切ったことはないのですが、知り合いの刀匠が言うには、太刀筋がしっかりしていれば、軽く切れるそうです。

力は要らないと言っていました。

大先生は重い木剣を振って手首を鍛錬すれば呼吸力の練習になるとおっしゃっていました。

切ろうとする巻き藁があるとすれば、振り下ろして巻き藁に当たったところか接触点です。そこに鍛錬した手首の働きと、足を前屈させることで腰が接触点に手伝いに来ます。

これが素振りの基本ではないかと思います

呼吸力 1

呼吸力は我々の師が求めてやまなかった相手との結びの力です。

呼吸には吸う息と吐く息があるように、私達は無意識の状態で陰と陽の結びで呼吸しています。このようにこの世の全てのものは陰と陽の結びによって生成発展していくようにできているそうです

わかりやすく言えば、陰と陽との完全な結びを作ること、これが呼吸力を出すのに大切なことではないでしょうか。

呼吸力の養成にはキーワードがたくさんあります。力を抜く、相手との結び、相手との接触点、我をださない。など、


先生が伝えたかったことを私なりに分析して見ました。

もともと、先生は、お父様の御縁から大本教の熱心な信者の家に生まれ、大本教の教えに忠実に生きて来た方です。

開祖の植芝盛平先生も又大本の出口王仁三郎に師事し霊的修行をされた方、此処に大切な共通点があります。

大本では立て替え立て直しの予言のなかで体主霊従の今の世の中を霊主体従の世に立て直すと予言しています。体主霊従と霊主体従の違いを理解することが呼吸力を理解するために重要なポイントになると思います。


師に紹介して頂いた、出口日出麿先生の生きがいの探求、生きがい創造、生きがいの確信の本のなかに、呼吸力に大事な文章をみつけました。

次号

呼吸力 2

体主霊従と霊主体従の違いについて引用されたことわざ、皆さんもよく知っている、

「為せば成る、為さねばならぬ何事も、為らぬは人の為さぬなりけり」

このことわざに対して「為ればなる、為せどもならぬ何事も、為る、為らぬは、神の御心」

淡々として努力を積み重ね、後は神さんにお任せすること、がむしゃらに力を入れて頑張ってもならないものはならない。実にポイントをついた比較だと思います。


次に必要なポイントは雛形思考です。
自然界の中で、一番わかりやすい雛形はDNAです。DNAの中には人間には可視できないミクロの中に人一人を形成する情報が整然と収められています。誰が作ったんでしょうね。


ここでも大本の思想が現れています。私も大本の信者ではないのですが、合気道を探求する過程でどうしても避けて通れない思想だと思い、大本に関するたくさんの本を読みました。


まず日本は世界の雛形だということ、日本の地図と世界の地図を比較すると本当によく似た形なのです。相似象という言い方もあるようです。

これも意味はミクロからマクロまで似た形をしているということでしょう。全ての種子なども楕円形で似ていると思いませんか?

では呼吸力の話に戻りましょう。
私は、呼吸力は自分自身の人生そのものの雛形だと考えています。合気道の呼吸力の養成法の稽古から考えると、接触点を機会にそこから体の働きが始まります。

その時、自分の我、言い方を変えれば欲、又は力、が働くと接触点を見失ってしまいます。

しかし接触点を大切に、体的な力を抜いて任せる気持ちで働きが出れば相手との一体感を味わいながら相手を導くことができるのです。

ここで一番重要なことは、手などの働きに対して腰が手伝いに来るということです。

合気道では体捌きも大切に扱われます。何故でしょう?体捌きのほとんどは下半身の動きからくる腰の動きです。腰が正しく手伝いに来ることによって 、全体重が接触点の一点に集中します。

点は点でも点が限りなく小さければちいさいほど威力は増大します。より力を抜いて相手を接触点で感じれば感じるほど接触点は小さくなると思います。

それに必要なのは、
正しい精神性の方向を見つけた上での稽古の積み重ねではないでしょうか?

呼吸力3

前回にもお話ししたことですが、

呼吸力とは、吸う息と、吐く息が調和して結びとなって、呼吸が産まれ、人間の生命を維持するという、働きを産んでいます。

普段、呼吸をする時には、無意識で、力を入れて呼吸することはありません。

呼吸を代表するように、自然界の働きは、吸う息と、吐く息のように陰と陽の結びが調和をして脈々と活動しています。

地球と月、地球と太陽が調和をして1年が生まれるように、片方が陽の働きをすれば、反対側は陰の働きをし結びを作っています。

呼吸は、そういうものを代表する表現で、端的に呼吸が力に変わるというだけのものではありません。

ミクロからマクロまで、陰と陽の働きで宇宙の調和が作られています。

陽だけかあり、陰がなければ、それは破壊です。

呼吸力は、相手との調和、陰と陽の完全な結びを創る事を目標に稽古すれば、人間が自然に戦いを挑んでも勝てない様に、力を使わず、相手と結び、正しい方向に導ける、神と一体になった力のことだと思います。

呼吸力の養成法

稽古の中で、準備運動と受け身の練習の後に、指導するのが、呼吸力の養成法です。

片手取り、片手の両手取り、両手の両手取りと、取り方を変えて3種類の取り方で相手との結び方を練習していきます。

この時大切なのは、力を抜くことですが、完全に抜いてしまっては、相手にすぐ持っていかれます。

力を入れると、力と力の戦いになってしまいます。

難しい。・°°・(>_<)・°°・。

大切なのは、相手が、どう取ろうとしているのか、相手の気持ちに、自分の気持ちを合わせ、相手と一体になろうとする、調和しようとする気持ちです。

力を入れるでもなく、力を使うでもなく、なんじゃこりゃ?
((((;゚Д゚)))))))

強く取る相手の手に対して、相手の一番強くとっている接触点を感じ、そこに任せる。

さあ、どうぞと、任せる気持ちは、力を抜いてくれます。

接触点を感じたら、すかさず、手の働きが始まります。

合気会の技から進化した、大先生の最初の変化は、手の巻き込みでした。

それまでは、手のひらを開いていた合気会の形から、手を巻き込むという、それまでにはなかった形に変化した様です。

そうです。大先生は手の働きをかえたんです。そのことによって、手の働きが、強く接触点に作用するようになりました。

働きが始まるのと同時に、腰の移動が始まります。この時大事なのは、手の働きと、腰の移動が一緒に見えても、気持ちの持ち方は、働きが先です。

神様は人間の正しい働きに対して、見えないところから手伝う様に、接触点からの働きに腰が手伝いに来てくれます。

その時に、接触点には、力が抜けた働きだけの手の動きに、見えない力が手伝いに来ています。

これが不思議な力、呼吸力だと思い、日々稽古を積み重ねることが、呼吸力の養成だと思います。

合気道の心を求めて

毎月大先生のコラム、合気道についての情報や昇段、昇給、会員の合気道についての思いなどが掲載された、月刊誌が会員に配布されます。

大先生が六十歳の頃、これらのコラムを集約した、「合気道の心を求めて」が出版されました。

私が入門する前に、合気道の事務所で紹介され、熊本で合気道に復帰するきっかけになった本です。

大先生が書かれた文章としては、初めての合気道の精神を、その時代の事件や、世の中の問題を、合気道の精神に照らし合わせ、大先生の考え方が執筆された、合気道のバイブルのような本になっています。

大先生の六十歳の年は、実に忙しく、「合気道の心を求めて」の初版の出版に加え、東京での第一回合気道友好演武会、長男の誕生など、めまぐるしく活動された年だと思います。

実にこの年に入門した私は、大先生の受け身を取る、熟練された先輩達、「花の合気道、男の魂」などの合気道の舞踊を踊る女性会員などに影響を受け、稽古に熱心になって行きました。

その頃、朝稽古の後のモーニングコーヒーにご一緒させていただいた時の先生の言葉が思い出されます。

当時、大先生が六十歳で、私が二十五歳、「あなたも六十歳になったら、私が今言っていることが、本当に理解できるようになるでしょう。」

奇しくも今年、還暦を迎える私は、当時の先生のお言葉を心から理解できる修行が出来ているのか不安です。

また、先生は、六十歳になったら、本当の呼吸力が出てきます。ともおっしゃっていました。

呼吸力は体力が落ちてきた時に、力を使わない呼吸力が本当にわかるようになると。

誰でも加齢に従い体力は落ちてきます。でも合気道の呼吸力は、そこからでも成長するもののようです。

私も還暦を迎え、これからが楽しみです。

先生からの宿題

大先生が七十代になられた頃でしょうか、朝稽古に来られる回数がめっきり少なくなってきました。

自宅の庭の飛び石で脚を滑らせて、足の筋を切られた時がありました。

そんなこともあって、一時期杖をついている事もありましたが自力で治されたのを覚えています。

合気道の稽古がリハビリになったのでしょう。

久しぶりに朝稽古に来られた大先生が、初めて一対一で私の手を取ってくれました。

この時だけです。真剣に、何度も何度も、駄目出しをされました。確か、立ち技の後ろから両手で相手の片手を取る技でした。

違う、違う!先生が模範を示され、何度もやり直し、六〜七回目くらいに、そう、それでいい!

その時の手の感覚は忘れません。今考えると、全然力を使わず、手の働きと腰の移動だけ、私は何をしたのかわからず、ぽかんとしてしまったのを覚えています。

嘘だろ!こんなに簡単に?手に感じた抵抗感は全然ありません。

いつもの練習でしっかり取らせて技を掛ける感覚とは全く違った感覚、戸惑ってしまいました。

それが先生が私の手を取って教えてくれた最後の機会になりました。

この感覚をものにしたい!先生の手を取れなくても、またその感覚を自分のものにしようと稽古に励みました。

今考えると、先生は意識していなくとも、私にとっては、最後に先生から、直接頂いた、呼吸力という宿題だったのかもしれません。



合気道の心、呼吸力

大先生は、「合気道の心を求めて」の続編を出版された後、「合気道の心、呼吸力」を出版されました。これは、写真を通じて、大先生の呼吸力の細かい動きを示そうとした、表れではないでしょうか?

写真を通じて大先生の手の動きを見るためには、有難い本です。

でも、先生は、形は常に進化していくのであまり参考にはならないかもしれないとおっしゃっていました。

写真を見ただけでは、確かに 、その深い意味はわかりません。

でも、大先生の詳細な技の変化と、心の変化が読み取れます。

稽古はもちろん一番大事です。

先生の言われた通り、二冊の「合気道の心、呼吸力」を出版されましたが、晩年の先生の技から見ると、あまり参考にはなりません。

晩年、常に進化する技の変化に、高段者の先輩たちは、戸惑っていたと思います。

私は、幸いにも、本部道場に所属していたので自分達の道場で、稽古していた先輩達よりも先生の変化を見れたことが、よかったと思います。


表と裏

合気道の稽古の中で、表と裏という言葉がよく出てきます。

大きく言えば、陰と陽です。

表があれば裏があります。

上があれば下、縦があれば横、男性がいれば女性というように、

全て世の中は、この陰と陽の結びによって成り立っていると言われています。

同じ技でも表と裏で、自分を中心に相手を回す、相手を中心にして自分が回る。同じように見えて、実は表と裏になっているんです。(*^◯^*)

面白いでしょう。

合気道真生会 公徳会道場では、1か条から4か条までの入り方の基本の、切り返しを、表、裏、両方を資本練習法に入れています。

合気道の基本の技は粕取り

合気道の技は無限にあると言われていますが、1か条から4か条の表技と裏技、小手返し、四方投げ、入り身投げなど、他にもたくさんの技があります。

最後に決める技は関節をやわらかくする、いわゆる、関節を軟らかくする様になっています。

開祖は、この決め技のことを、関節の粕取りだとおっしゃっていたそうです。

真向法が下半身の粕取りなら、合気道の決め技は、上半身の粕取りになりますね。

真生会の練習をすると、後がスッキリするとよく言われますが、全身の関節の粕取りができているのかもしれませんね  o(^_^)o

膝行(しっこう)

合気道の稽古で、一般の武道では見ないのが膝行です。

日本人の生活の中で、正座は一般的ですが、膝行ができる人はめったに見ません。

なんでこんな歩き方をするのか、不思議でなりませんでした。

膝行は、正座のままで脚を約九十度開き、かかとを立てて、歩くように左、右と交互に膝を出して座った状態で歩く方法です。
この時、かかとは離さず、揃えたままです。

合気道の稽古では、座り技があります。座り技では膝行を使い、立ち技と同じように体捌きをしながら、技をかけてゆきます。

また、正座から自然に立ち上がって行くスムーズな動きが出来ます。

武道的には、あぐらより正座の方が、立ち上がりが早いように、座った状態から、相手に即座に対応できる体勢が正座で、立って技をかけられるまでの中間の姿勢でもあります。

常に隙のない状態を作り出す。これは武道では共通した配慮ですね。

最高の伴侶

二十六歳の時、同じ職場で働いていた三歳年下の女性と結婚しました。

結婚には、見合い、恋愛での結婚が一般的ですが私たちの場合は、馴れ合いでしょうか?

二十一歳から一緒に働いていましたが、彼女は、最高のライバルでした。

私がシャンプー剤を100本売れば、彼女は99本、売り上げが30万になれば彼女は、29万、新規のお客様を30人開拓すれば、彼女は、31人、常に追い越されたり、追いついたり、常にぴったり数字が僅差です。

負けん気が強かったんです。

恥ずかしい話ですか、若い頃、結婚するまでに何人かの女性とお付き合いさせていただいたのですが、修行中の私は、休みの日もシャンプー売って回ったり、勉強していたりで時間がありません。

会おうと言われても、なかなか会えない私に愛想を尽かして、みんな去って行きました。

美容師になったら、女性も多いし、モテると思ったのに(笑)

五年間、彼女は、以前の女性との付き合いも、私の性格も、仕事に対する姿勢も、すべて側にいて見ていました。

そして五年後、寮が一階と二階であったせいもあって、洗濯をしてくれるようになりました。

彼女のお母さんから言われたそうです。「男の人が一人でいるなら、洗濯くらいしてあげなさいと。」

そして、ごく自然にお付き合いするようになりました。

馴れ合いと、敢えて申しましたが、愛と恋は、少し違うのではないかと思います。

恋は一目見ても発生しますが、愛は培わないと生まれてきません。

仕事という一緒の時間を過ごすことによって、気付かないうちに、私の良いところも、悪いところも含めてお互いを認め合っていたのかもしれません。

そして私たちはごく自然に結婚しました。

最高の友達

少し不思議なお話をします。

合気道の会員で静岡から奥さんを連れて、わざわざ合気道の修行に来た夫婦がおりました。

私が合気道に熱心だったように、彼は私以上に大先生を尊敬し、稽古熱心でした。

でも、私と正反対な性格で合気道について議論したこともたくさんありました。静岡生まれなので、美しい富士山を見て育った環境と、いつも噴火活動している荒々しい阿蘇山の近くに生まれた環境の違いでしょうか(笑)

修行の方向は違っても、違った方角から富士山に登るようなもの、頂上までたどり着けば、一緒だね、と言いながら二人とも納得していました。

そんな友達夫婦に悲劇が訪れます。
奥さんが癌を患ってしまい、その治療のために大変な苦労をすることになります。

当の奥さんは、肝の座った方で、お見舞いに行った時に、眼科の病棟にいたので、どうして眼科に入院してるのかと聞けば、だってガン科ですもんと言って冗談を言うような方でした。

でもその症状は進行していくばかり、お二人は静岡のご主人の実家で療養することにして熊本を離れました。

これからが不思議な、一の物語の始まりです。

十一月十日一時十一分、懸命の闘病にもかかわらず、彼の奥さんが他界されました。

私は次の日の朝の一便で東京へ、新幹線で三島まで、三島から修善寺までは、在来線で行きました。新幹線の出発時間が十一時十一分発、ここで私は何で一がこんなに並ぶのかと不思議に感じました。

数霊を信じていた大先生の影響でしょうか?

新幹線の座席は、敢えて一号車の十一番の自由席に座り、あといくつ、一が並ぶのかと構えていると、修善寺に到着がちょうど一時、初めて訪れる彼の家までタクシーで、到着が何と一時十一分。

何と、十五個も一が並びました。

彼の家に到着すると、ちょうどお葬式の行列が、徒歩でお寺に向かうところでした。

一番前に奥さんの遺影を抱いた彼がいました。一礼をして彼の顔を見た時に、あっ、そうかと納得しました。
彼の名前は一(はじめ)、亡くなられた奥さんがは、じ、め、と呼んでいる気がしました。

私にしかわからない不思議なお話でした。

最高の友達 ホタルのお話

ずいぶん前、まだ彼らが熊本にいたときの、ホタルという本を読んで、とても感動したと、聞いたことがあります。

そのホタルが、映画化されてそれを二人で観に行って見てとても感動されたようです。何と主演は高倉健、私も一人で見に行きました。

初めて映画を見て号泣、嗚咽をこらえるのが大変でした。

奥さんを亡くされて、初盆のときのお話です。彼の家にホタルが一匹どこからともなく入ってきたそうです。

そのホタルをそっと手で捕まえて、外まで連れて行くと、奥さんが好きだったヒマワリの花のところで ふわっと舞って行ったそうです。

そう、映画の中でも、特攻隊で出撃する零戦のパイロットが行きつけの居酒屋の女将さんに言います。
「俺ホタルになって帰ってくるから」

二人にしかわからない話ですが、奥さんがホタルに乗って帰ってきたと、私は思います。きっと彼もそう思って私に話してくれたと思います。


童謡と合気道

晩年の大先生はハーモニカを好んで吹いていらっしゃいました。童謡には自然が残っているとおっしゃっていました。

合気道は八十の歳になっても出来るという事と、童謡を通して自然を思い出す、二つの効果で高齢者を元気にする、というお気持ちから、高齢者の施設への慰問を設定してください、といわれ、二十数回、設定をしました。

施設の入所者の方たちは、八十歳を過ぎた先生が若い弟子たちを投げる姿に驚き、童謡を懐かしがり涙する、

私は、施設に入所している高齢者を見て、先生の若さと、同年代の方たちの歳の差を感じるとともに、私も合気道を続けて行こうと思いました。

大先生の社会貢献の気持ちの表れですね。私たちもこれから、社会のために何ができるか考えることも大事ですね。

総本部道場建設計画

大先生は、合気道の国際化に伴い、海外から修行に来られる方や、大先生の合気道のスタイルを後世に伝えるために、総本部道場の建設を希望されていました。

私が入門する何年も前から、総本部道場については、後援会や、振興会を作り協議されてきたようですが、資金面や場所の設定でうまくいかなかったようです。

ちょうど、消費税三パーセントが施行された年でした。

財布の中に、一円玉や五円玉がたくさん貯まり、
財布が重たくなるのを、わずらしく思い、会員から貰った大きなボトルに貯めて行きました。

五年くらい過ぎてボトルがいっぱいになりました。

大先生は、神社でお賽銭について、以前こう言ってらっしゃいました。

「祈る想いを形にして表す」

これがお賽銭です。だから少しでもいいから、毎回、祈るだけでなく気持ちを形にしてお賽銭を入れるのです。

祈る気持ちを形にする。

これだ、と思いました。総本部道場の建設を議論しながら形にならない、これはそういう思いに対して行動がないだけじゃないか。

そう考えてボトルにいっぱいになった、一円玉や五円玉を大先生に寄付する事にしました。

大先生も、思いを行動に移すのが速く、全会員にその事を伝え、ミロク募金という、総本部道場建設募金が始まったのです。

私が五年前に始めた事が、四十箇所近くある本部道場、支部道場の会員たちによる募金活動が始まりました。

NPO法人設立

個人への寄付については、贈与税がかかります。

せっかく、総本部道場の為に集めたミロク募金は、約四十パーセント近くが税金という事になってしまいます。

それでは会員の気持ちを生かす事はできないと、公益性のある法人の立ち上げが必要になってきます。

法人法改正の議論の中、国会では天下り法人を減らし、税金の無駄使いを減らそうとNPO法人が、わりと簡単に設立できるようになりました。

今までボランティア活動をしていた方たちにとっては、集まってくる会費や募金に対しての課税の問題が代表にかかってきます。

世のためにやっていても、高い税金がかけられる。NPO法人は個人の寄付行為や会費について課税しないと謳ってあります。

ミロク募金は、個人の寄付行為だから課税対象ではない。

会員たちの気持ちを少しでも有効なものにするためにNPO法人の設立を大先生提案しました。

大先生の了解を得て、高段者の皆さんに声をかけます、皆さんの中に県庁職員などのNPO法人に詳しい方もいらっしゃって知恵を与えてくれますが、行動してくれません。

手を挙げた人の責任になるのが怖いのか?

四十を超える団体を全て法人に取り込むには、理事が四十人、会員に至っては何百人になってしまいます。

県を超えての法人の設立は、総務省の管轄で、司法書士の知識がなければなかなか設立できません。

県をまたぐ事がなければ県庁への申請で設立ができるのです。

県内にもまた、NPO法人に詳しい高段者の先輩がいません。

業を煮やした私は、法人についての勉強を始め、NPO法人を設立しました。

なんでもやればできる。県庁や法務局や、NPO法人を設立するお手伝いをするNPO法人があり、定款などについて詳しく指導してくれます。

合気道は動けばそこに技が生まれる。と開祖が言ったように、先生がお賽銭は、気持ちを形にして表すと言われたように、NPO法人設立も出来たのです。





NPO法人設立その二

NPO法人を設立し、みんなの預かり金として、集めたミロク募金は何千万円という数字になっていました。

皆さんからの情報を貰って先生をお連れして土地を見てもらったり、建物を見てもらったりしましたが、なかなかいい場所が見つかりません。

大先生は、修行の場所に加え、無農薬、自給自足の生活を希望しておられました。

そんな時、田舎の過疎化が進む中、小学校の統廃合が進み、廃校になる小学校がどんどん増えてきました。

それに加え農業に従事している方たちの高齢化も問題になってきます。

オーナー田制度を取り入れている山都町や、廃校になった私の故郷の小国町、高森町などに出かけ、廃校になった学校と、休耕田などを見て回り、大先生にも、見てもらいましたが、なかなか承諾が得られませんでした。

土地代と、道場建設費用を考えると、集まった募金の金額では、まだ半分にも満たない。

法人が借り入れするにも、立ち上げたばかりで実績がなく、銀行も貸してくれません。

廃校になった小学校は、町から無料で借り受けることができ、体育館に畳を敷けば立派な道場に早変わりです。

木造の小学校は各教室が居室に早変わりできます。給食室は、台所の準備が既に整っています。

おまけに休耕田などを借りて農業をすれば、高齢化したところに若い人たちを導入し、活気のある総本山かできると思いましたが、大先生の急なご逝去により、夢は、壊れてしまいました。

立て替え(破壊)

さあ、これからが今まで大先生が作り上げてきた組織の崩壊です。

大先生が亡くなる3ヶ月前、体力も限界に近づいていたのでしょう。

いろいろな問題が勃発してきました。

事務所の会計などの問題で、師範長が永久追放にとの宣告、大先生の承認を得ていたにもかかわらず、問答無用の宣告です。

どうにも納得がいかない私は、各道場長に師範長をやめさせないよう嘆願書を書いてもらいました。

そして、誰から漏れたのか嘆願書は大先生のに届かないまま私も除名処分となってしまいました。

大先生の家族と師範長の間に何か深い遺恨が残る形となってしまいました。

NPO法人も名前を使ってはならないという大先生の家族からの要望で、理事会を開き、解散ということになってしまいました。

会費は、解散登記の費用に、預かり金は全て0円になるまで返却し、法人も崩壊です。

大先生の要望で、これからは法人がみんなで話し合って道場の運営をしてくださいと言われていたのに。

その後の情報で、支部道場や高段者は自らの意思で道場を去って行きました。


立て直し

大本では近い将来、世界の建て替え立て直しがあると予言しています。

立て替えが、が破壊を意味し、立て直しが建設を意味します。

雛型の考え方の時にも書いたと思うのですが、大本で起こった立て替え立て直しが、波紋のように日本に広がり、世界に広がる、3段の型が出るところが、大本だと言われています。

大本から生まれた開祖の合気道が大先生に受け継がれ、そこに、立て替え立て直しがあってもおかしくありませんね。

いろいろな神縁がある方に神懸かりし五十年間の膨大な雛形神劇が霊界物語に書かれていると言われています。

我々の合気道の立て替え立て直しも、神縁のある方に、立て替えの神懸かりがあり、破壊してしまったと考えたら納得がいきます。

私は立て直しの役目が我々、一般社団法人 合気道真生会の働きではないかと思っています。

呼吸力を指導できるのは真生会が一番です。

体主霊従の現代を霊主体従の世の中に立て替える。呼吸力を修行することによって、自分の考え方が矯正されたように真生会の合気道の稽古によって、霊肉一体の至上鏡に導く、これが私たちの使命だと思います。

真生会の受け身

熊本に帰ってきて、改めて合気道の稽古を始めたのが25歳の時でした。

まず稽古で、違って感じたのが後ろ受け身でした。

少年工科学校のクラブ活動では、背中の対角線を使った後ろ受け身が一般的で足も、後ろ受け身をとる時は、足を90度に曲げて、後ろに転ぶ時の最初の支えになります。

ところが最初に教えてもらう受け身が経験した事のない、背中のサイドの線を使った受け身だったのです。

少し戸惑いました。

おまけに後ろに下げた足一本で足を曲げて行き、お尻と踵がついた時から背中の丸みに繋がってゆく、それも対角線ではなく、背中のサイドを使う。

そうゆう初めて経験した受け身だったのです。

先生に質問してみました。

「合気会では、対角線に後ろ受け身を取っていましたが、ここで教える受け身は、体のサイドを使う受け身になっています。どうしてですか?」

先生は、

「合気会の稽古では、入り身投げという技で亡くなった方がいたり、頚椎を損傷したりと、非常に危険な技もあるのです。入り身投げなどで怪我がない様に変えたのです。」

納得!m(._.)m 素晴らしい
♪───O(≧∇≦)O────♪

じつは、合気道の技では、遠心力や、求心力が働く回転する技が多く、そのための受け身としては、実に理にかなっているのです。

事実、練習中に受け身によって怪我をした人を見た事がありません。

受け身もまた、大先生によって進化していたんです。

公徳会道場では、右右の受け身、左左の受け身と、右左、左右の後ろ受け身として区別して指導しています。




電子技法

話は武道から少し変わりますが、合気道では自然と一体になるとか、宇宙の氣と結ぶとか、難しい言葉、出来そうにない言葉がたくさん出てきます。

私たちでも自然は感じられますよね。

お客様の紹介で、電子技法という方法で、無農薬の農業指導をしている方にお会いし、お話を聞きました。

電子技法は、先史時代の科学と言われています。今、マイナスイオンがドイツの化学者によって発見され、注目を集めていますが、実はそれ以前に、
楢崎皐月によって静電三法でマイナスイオンのことを、呼び方は違いますが、世に表していました。

楢崎皐月氏(ならざき・さつき)
楢崎氏は日本の物理学者・電気技術者。 一八九九年山口県生まれ、北海道育ち、一九七四年没。 「ケガレ地」、「イヤシロ地」という名前で土地の良し悪しを研究した、「静電三法」で有名です。  晩年は「カタカムナ」の研究に没頭したと言われています。(カタカムナ文明から引用)

簡単に言えば、空気、水、食べ物で環境を整え、住みやすい生活環境を作る方法でしょうか。

みなさん美容室に行かれる時、感じられると思いますが、パーマ液などの薬品の臭いが美容室に立ち込めています。慣れるとわからなくなるかもしれませんが、私たち美容師は、その空気を、一日中、約十時間吸っています。

お客様は、二ヶ月に一回2時間程度と少ないので影響は受けないと思うのですが、揮発したパーマ液などの薬品は劇薬です。

長く蓄積すれば身体に何らかの悪い影響が出てくるでしょう。

電子技法の友達にそのことを相談してみました。彼は、電子エネルギー水をたくさん飲めというのです。

以前より、少しは飲んでいたのですか、飲む量が十リットル飲んだほうがいいというのです。

私なりに電子技法を勉強していたので挑戦してみることにしました。

美容室の仕事では、トイレが近くにあるのでしょっちゅうトイレに行っても構いません。

水を飲み始めて少し経つと、手に水疱が現れてきました。

電子技法の彼に相談すると、おめでとうございます。って言うんです。
なんで?

今まで皮膚などに付着して残っていた悪いものが出てきたんです。

瞑眩反応ていうものでしょうか、好転反応とも言えます。

普通に考えると、悪い水だから反応したと考えます。

だいたい九十パーセント以上の人はここでやめるんだそうです。

わたしは飲み続けることに決めました。しかし、状況は悪化するばかり、くじけそうです。

ステロイドの入った薬をつければ、すぐ治ると言われたのですか、それでは毒が出たことになりません。

医者を頼らず自然の力で治すと決めました。自分の身体で経験してこそ説得力があります。

周りからはなんか、変な宗教始めたんじゃ?と言われる始末。

お客様で皮膚科の先生からどうしたの?と聞かれて、少しお話しすると、早く病院行かないと手遅れになるよ、と言われました。またまた不安になりました。

何回もくじけそうになりながら、6ヶ月を過ぎるとだんだん、水疱、潰瘍、瘡蓋を繰り返していた手が少しずつ元に戻ってきました。

最後まで残ったのは一番パーマ液を素手で握っていたところです。

明らかにパーマ液の反応だと手が語っていました。

面白いことにこめかみにあったシミが一緒に消えていました。









電子技法で美容室の建替え

二〇〇六年二月二十八日、私が経営する美容室の建替えをしました。

自分の身体で電子技法を実践した私は、ちょっと高い買い物でしたが、
電子技法を使ったお店にする為、七トンのエネルギーカーボンと呼ばれる、備長炭の粉を購入し、建物の基礎の部分に、炭素埋設二箇所、敷き炭一五センチ、二階、三階の床の下にも炭を入れました。

驚いたことに、内装用のボンドの臭いが立ち込めていた店内が次の日には全然臭わなくなりました。効果は絶大です。

電子エネルギー水も機械を購入し、スタッフのみんなも飲めるようにしました。

風呂も電子風呂という、エレクトロチャージャーという機械につないで、電子エネルギー水の風呂にします。

手に好転反応が出た時に、その風呂を使わせてもらったのですが、風呂に浸かっていると、手の水疱から微細な泡のようなものが出てくるのが見え、電子エネルギー水を飲みながら1時間程、半身浴していると、後にはヘドロのようなものが風呂の下層部分にゆらゆらしています。

薬も何も使わず、痛さ、痒さ、醜さを超えて健康を取り戻す、これも合気道の精神の、自己に打ち克つということでしょう。



柔道着に袴を着るのが、合気道のスタイルです。
合気会や他の合気道団体では、黒帯にならないと袴を着れないようですが、大先生は、初心者から袴を着るように指導していました。
袴のちゃんとした着付けは、背筋が伸び、腰が安定してきます。
背筋が伸び腰が安定した姿は、正座でも立ち姿でも凛々しく、袴の着付けの仕方によってその人の合気道のレベルが見えそうです。
剣道でも、弓道でも、薙刀でも袴を着用しますが、合気道の場合は、後ろ受け身や、前受身がある為、腰の後ろの部分に結び目を作ってはいけません。
結び目が痛いんです。
わたし流の研究ですが、腰の後ろの部分は下につける帯から袴の紐まで平らになるよう指導します。テーピングと同じ効果があり、腰を守ってくれます。
初めて袴を着る人はその着方がわからず戸惑うことが多いのですが、昔の人は何故こんなめんどくさいものを着ていたのかと疑問です。
ある稽古の時でした。武道を修行するものにとって、立ち方は、非常に重要です。
前屈立ちを指導している時のことでした、会員の一人が、袴があるので脚の動きが見えません、というのです。
わたしは、ハッとしました。武道では、脚の運びを見て相手の次の行動を読むことが多いのです。
袴は、背筋を真っ直ぐに安定させるだけでなく、脚の動きを相手に見せないように今の形になったのではないかと思いました。





韓国から合気道の修行に

まだ大先生がご存命の時でした。韓国から3名の合気道家が大先生の技を体験したいと来日されました。

彼らは、youtubeの第一回合気道友好演武会の大先生の演武を見て、実際に体験したいと思ったようでした。

3日間みっちり、稽古で大先生の手を取らせてもらい、その技と呼吸力に感激し、会員との友好関係を確かめて、再来日を約束して帰って行きました。

その時、感じたのは、日本語でも韓国語でも、コミュニケーションが全くと言っていい程、取れなかったことです。

二年後来日した時は、若い英語がしゃべれる方が一緒に参加して、英語での会話でコミュニケーションが取れましたが、韓国と日本のとても似ている文化を考えると、ちょっと違和感を感じたんです。

韓国語と日本語はとても近いものがあります。。文法は全く一緒、漢字語と呼ばれる単語は読み方がよく似ています。

英語とドイツ語の違いでしょうか。
距離が近いと言葉も近いんですね。

わたしは、彼らの次の来日の為に韓国語を勉強することにしました。

韓流のブームもあって、教材は沢山あり、NHKの韓国語講座や、近くにあった韓国語教室に通い、韓流ドラマを鑑賞し、少しずつですが韓国語が理解できるようになりました。

次の来日の時はソウルで稽古している若い会員とのコミュニケーションが韓国語と英語での両方を使って取れるようになりました。実は彼らもわたし以上に日本語を勉強してくれました。

今ではメールは全部日本語で送ってきます。

韓国へ出稽古

韓国語にもだいぶん慣れた頃、韓国へ出稽古に行きました。

韓国のメンバーも今は私たちの団体の会員として稽古をしています。

一年目は一人で出かけ、二年目は師範長はじめ、総勢八名、三年目は公徳会のメンバーと二名でというように、毎年交流を続けています。

毎回、食事など用意して頂き本当に至れり尽くせりの出稽古です。

二回目と三回目は、仁川道場長の知り合いの、武道家が集まってのセミナーとなりました。合気道はもちろん、中国拳法の先生、極真空手、合気道(ハプキドウは韓国式の合気道)柔道から派生した健康体操のインストラクターなど。

いろいろな武道に真剣に取り組んでいる人たちに、真生会の呼吸力の指導をしました。

彼らの一人が言いました。「私達は今まで、瞬発力を鍛え、腕力を鍛え、動体視力を鍛えて、相手を如何に倒すかを稽古してきました。

だけど、先生は、力を抜いて相手に任せ、相手と一体になる気持ちで取らせなさいと言われました。手を取って見ると本当に気持ちよく浮かされます。
全く不思議です。」

他の武道家の方たちにも、呼吸力は全く異次元の力として感じられたようです。

私達は呼吸力を当たり前のものとして稽古しています、合気道の精神で言われている内容でも分かりますが、「合気とは自己に打ち克ち、敵をして戦う心なからしむ、否、敵そのものを無くする、絶対的自己完成の道なり」

なかなか難しい道ですが、取らせる相手が変わることによって、第三者的に見てくれる彼らに自分が気づかされている面がたくさんありますね。


額の顔そりはしない大先生

入門して十五年目頃だったでしょうか。会員の一人が私の美容室でカットしていると聞いた大先生から、質問がありました。

「あなたのところは美容室ですが、男の人もカットするんですか」と。

今は男性のお客様も増えています。私がカットしている会員の名前を並べると、大先生も納得されたようです。

大先生は、何時もスーツを着て、髪の毛や、服装の乱れはなく、とってもおしゃれに気を使われます。

ある日、大先生からのカットの予約がありました。

緊張しながらお待ちしていると、時間通り大先生がいらっしゃいました。

一対一でお話しするだけで緊張するのに大先生の髪の毛を切るなんて、久しぶりに初心者に戻ったような緊張感で手が震えそうです。

椅子に座った先生は、背筋が真っ直ぐで背中が椅子につかないくらいです。

毎日頭皮をマッサージするという大先生の髪の毛は艶があり、あまり白髪もありません。

美容室なので顔そりはできませんというと、結構ですと理解して頂きました。

私が担当する前にカットしていた知り合いに聞くと、お父さんの時代から彼の理容室を利用されていて、顔そりの時も、大先生は額だけは絶対触らせなかったそうです。

詳しい理由は聞いていないのですが、昔の侍は、眉間を刀で斬られるのを最も恥としたそうです。

眉間には第三の目と言われる場所があって心の眼と言われるそうです。合気道家にとって眉間は大事なところかもしれませんね。

何回か来て頂くうちに、大先生も美容室の雰囲気に慣れ、寛いでいただけるようになりました。

シャンプーの時に眠っていただけるようになると私達もリラックス出来てるなと感じます。

大先生は、本当に信頼している人にしか髪を触らせない、言霊で言えば髪は、神ですから。毛は場所によって眉毛、睫毛などと呼び方が変わります。髪だけは髪毛と言わず、かみというのも不思議ですね。

結局、約二十年間以上大先生の髪を切らせて頂いたこと、とても緊張し、勉強になり、私と大先生の大切な思い出の時でした。

武道にやり直しはない

演武会の時に大先生が、初めて駄目出しをしたことがありました。

大学生が演武の途中で演武を間違って、最初からやり直そうとしたことがありました。

この事について、演武会後の懇親会で詳しく大先生から、指導がありました。

もし間違ったとしても、演武はそのまま続けなさい。やり直すことはできません。

これは、大先生の合気道についての大切なメッセージだと思っています。

合気道の練習上の注意事項にこういうことが書いてありました。

合気道練習上の心得
一、合気道は一撃克く死命を制するものなるをもって練習に際しては指導者の教示を守り徒に力を争うべからず。
二、合気道は一をもって萬に当たるの道なれば常に前方のみならず四方八方に戴せる心がけをもって練磨するを要す
三、練習は常に愉快に実施するを要す
四、指導者の教導は僅かにその一端を教うるに過ぎずこれが活用の妙は自己の予断の練習により始めて体得し得るものとする 徒に多くの技を望まず一つ一つ自己ものとなすを要す
五、日々の練習に際してはまず体の変更より始め遂次強度を高め身体に無理を生しめざるを要す 然る時は如何なる老人といえども身体に故障を生ずる事なく愉快に練習を続け鍛錬の目的を達することを得べし
六、合気道は心身を鍛錬し至誠の人を作るを目的とし又業はことごとく秘伝なるを持って徒に他人に公開しあるいは市井無頼の悪用を避くべし
(注意) 練習に際しては相手の構 相手との間合いを考え左あるいは右の構を用う動作の終わりしとき両足は常に開きあるごとく練磨するを要す 相手に正対するは隙多きを持って不利とする。

この中に大学生に伝えたかった大先生の心がある様に思えます。

一、合気道は一撃克く死命を制するものなるをもって練習に際しては指導者の教示を守り徒に力を争うべからず。

この第一行の中に、一撃克く死命を制するとありますが、このことから言えるのは、真剣という言葉です。

命のかかった、常に真剣な気持ちの中に、形だけを示そうとする。ただ間違わなければいいという思いは間違いだ。

ともすれば、合気道は、試合がなく、毎日の鍛錬だけで、馴れ合いになる稽古が多いようにに感じられますが、その真剣さの度合いによっては、一撃克く死命を制するものになるということでしょう。

もっと真剣にやりなさいという大先生の教えだったと思います。